私は遊牧民を見て「自由」を想像した
私が抱いていたイメージは崩れた。
こんにちは、精神科医しょうです。
先日、モンゴルへ行ってきた。
広大な草原。
ゲルでの暮らし。
季節ごとの移動。
東京で暮らす私からすると、その姿はどこか自由に見えた。
好きな場所で暮らし、自然とともに生きる人たち。
会社にも満員電車にも縛られない。
そんなイメージを勝手に抱いていた。
でも現地で遊牧民の暮らしに触れ、ガイドの話を聞くうちに、そのイメージは崩れていった。
なぜなら、「自由」という言葉が一度も出てこなかったからだ。
遊牧民は年に4回ほど移動する。
私はその移動を、どこか自由な旅のようなものだと思っていた。
しかし実際は違う。
ヤギや羊、牛たちが食べる草を求めて移動する。
水を求めて移動する。
季節の変化に合わせて移動する。
厳しい冬を生き抜くために移動する。
つまり彼らは移動したいから移動しているのではない。
生きるために移動している。
そこに私が想像していたような自由はなかった。
最近は「ノマド」という言葉をよく聞く。
デジタルノマド。
ノマドワーカー。
好きな場所で働き、好きな場所で暮らす。
そこには自由という意味合いが含まれている。
場所に縛られない。
組織に縛られない。
時間に縛られない。
現代のノマドは、自由を求めて移動する。
しかしモンゴルの遊牧民は違う。
彼らは自由を求めて移動しているわけではない。
移動しなければ家畜が生きられない。
家畜が生きられなければ家族も生きられない。
だから移動する。
それはライフスタイルではなく、生業だ。
もうひとつ面白かったのは、彼らが決して「昔のまま」ではなかったことだ。
スマホを使う。
バイクに乗る。
車を使う。
家族の中にはウランバートルへ出て観光業を営む人もいる。
伝統的な暮らしというと、変化を拒んでいるようなイメージを持ちがちだ。
でも実際は逆だった。
彼らは変化していた。
生き残るために。
便利なものを取り入れながら。
環境に合わせながら。
変化を拒むことではなく、変化することによって遊牧民であり続けていた。
振り返ると、自由という言葉は遊牧民のものではなく、私自身の願望だったのかもしれない。
忙しい日常の中で、
どこかへ行けば自由になれる。
環境を変えれば楽になれる。
そんな思いを、私は彼らの暮らしに重ねていた。
でも実際に見たのは、自由な人たちではなかった。
目の前の現実と向き合いながら生きる人たちだった。
自然に合わせる。
環境に合わせる。
必要なら変化する。
その姿はとても現実的だった。
診療をしていると、
「今の環境から離れれば楽になれる気がする」
という言葉を耳にすることがある。
もちろん環境を変えることが必要な場合もある。
ただ、モンゴルで感じたのは、どこへ行っても人は何かに適応しながら生きているということだった。
都会には都会の厳しさがある。
草原には草原の厳しさがある。
自由そうに見える暮らしの中にも現実がある。
私は遊牧民を見て「自由」を想像した。
しかし実際に見たのは自由ではなかった。
生きることだった。
そしてその姿は、私が想像していた自由よりも、ずっと力強かった。
最後にモンゴルの雄大な自然と現地の遊牧民の写真を。





変化を続けて
生き続ける
進化もそうであったように。
明日の自分を信じる気持ちになれました。
ありがとうございます
たしかに、モンゴルの空は、高〜いですね
移動をロマンチックなライフスタイルではなく、冷徹なまでの「生業」として捉え直す視点のクリアさに深く納得します。
環境を変える必要性を否定せず、同時に「幻想としての自由」を追うのをやめて目の前の現実と向き合い変化していくことの大切さを説く語り口が、忙しい日常を生きる多くの現代人の胸に静かに刺さる内容だと思います。