こんにちは、精神科医しょうです。
「熱、38度ありました。でも、行きました」
診察室で彼女はそう言って、少し笑った。
まるで、たいしたことじゃないみたいに。
「休んだら、みんなに迷惑がかかるので」
私は、その言葉を何度聞いただろう。
有給が残っていても、使えない。
体調が悪くても、連絡できない。
昼休みに一人になりたいだけなのに、それすら言い出せない。
「迷惑をかけたくない」
その一言で、自分の限界を、なかったことにしてしまう。
でもね。
外来で話を聞いていくと、
その言葉の下に、もう一つ別の気持ちが隠れていることがある。
「休んだら、職場が普通に回ってしまうんじゃないか」
自分がいなくても、
何も困らないことを、
確かめてしまうのが、こわい。
つまり「迷惑をかけたくない」の正体は、
やさしさじゃなくて、こわさなのかもしれない。
彼女は言った。
「私、役に立っていないと、ここにいちゃいけない気がするんです」
その言葉を聞いたとき、
私は、子供の頃の話を思い出していた。
彼女はずっと、
お手伝いをした時、いい点を取った時にだけ、褒められて育った。
何もしていない自分を、
そのまま喜ばれた記憶が、あまりない。
だから覚えてしまった。
「役に立っている時だけ、ここにいていい」
休むことは、その条件を手放すこと。
こわくて当たり前だと思う。
正直に言うと、私にも、その気持ちがわかる。
自分が休んだ日の外来を、誰かが代わってくれている。
それを申し訳なく思わない日は、たぶんない。
それでも、これだけは伝えたい。
休まないことで、迷惑の総量は減らない。
無理を重ねて、ある日ぱたりと動けなくなる。
そのほうが、ずっと長く、ずっと多く、人の手を借りることになる。
休むのは、迷惑をかけることじゃない。
続けるための、工程のひとつ。
それから、もうひとつ。
あなたが休んだ日、職場はたぶん、少しだけ回る。
でもそれは、あなたが要らないという意味じゃない。
あなたの席は、あなたが休んでも、なくならない。
役に立てた日も、
何もできなかった日も、
あなたがそこにいていい理由は、変わらない。
今日、少し疲れているなら。
「迷惑をかけないため」ではなく、
「明日も、あなたでいるため」に、休んでいい。




「迷惑をかけたくない」という言葉の裏に、「自分がいなくても職場が回ってしまうのを確かめるのが怖い」「役に立っていないと居場所がない気がする」という不安が隠れているというお話にすごく納得しました。休むことを単なる怠けや遠慮ではなく、存在条件を手放すことへの恐怖として丁寧に紐解いてくださり、無理を重ねてしまう理由がよく分かります。