応援することと、背負うことは違う
こんにちは。ミセスユニバースジャパンを主催しています大島一恵です。
最近、ひとつ学んだことがあります。
誰かを応援したい人ほど、自分を後回しにしてしまうことありませんか?
私は長年、女性の挑戦を応援する仕事をしてきました。
コンテストを主催し、講座を運営し、
本を書いています。
その中で本当にたくさんの女性と出会いました。
離婚を乗り越えた方。子育てがひと段落し、
もう一度自分の人生に挑戦したいと思った方。
病気を経験し、それでも前を向こうとしている方。
自信を失い、もう一度自分を好きになりたいと願う方。
そんな女性たちの変化を見ることが、私は大好きですし、私の使命だと思っています。
だからこの仕事を続けています。
でもあることに気づきました。
それは、
「応援すること」と
「背負うこと」は違う
ということです。
私は昔から、人の相談を受けることが多い方でした。
何か力になれないだろうか。少しでも楽になってほしい。そんな気持ちがいつもありました。
だから時間を作り、話を聞き、一緒に考えてきました。
それが私の強みだと思っていました。
でも数年前、ある出来事がありました。
当時、とても心配していた方がいました。
業務の手を止めて話を聞きました。
毎日のご本人のSOSラインに即返信し、
ご本人を守ろうと顧問弁護士とも話し、紹介しました。
何時間か電話で話を聞いたこともあります。
私なりに本当に力になりたいと思っていました。
その後問題は解決したとのことで、しばらく連絡が途絶えていたのですが、ある日突然メッセージが届きました。
「昔、一恵さんが私のことを悪く言っていたと聞いたのですが、本当ですか?」
という内容でした。
もちろん、そんな事実はありません。
私は、その方のことを心から心配していた側です。噂話も全く していません。
驚きながらも、
「そんなことは一度もありません。私が事情を伝えたのは〇〇さんだけです」
とお伝えしました。
すると、
「それが聞けて安心しました。当時は本当にお世話になりました」
というお返事が返ってきました。
その時、私は不思議な感覚になりました。
相手が悪いわけではありません。
不安だったのだと思います。
確認したかったのだと思います。
でも私は、
誰かの不安、
誰かの悲しみ、
誰かの怒り、
そういった感情を受け取ることに慣れすぎていたのかもしれない。
そんなことを考えました。
人を応援する仕事をしていると、
嬉しい報告だけが届くわけではありません。
悲しみも届きます。
怒りも届きます。
不安も届きます。
時には、人間関係の悩みも届きます。
もちろん、それは信頼していただいているからこそだと思っています。
ありがたいことです。
でも最近思うのです。
人を助けようとする人ほど、
いつの間にか相手の感情の捌け口になり、相手の荷物まで背負ってしまう。
私自身もそうでした。
でも本当は、
応援することと、
背負うことは違う。
手を差し伸べることはできる。
寄り添うこともできる。
応援することもできる。
でも、相手の人生を代わりに生きることはできません。
相手の課題を代わりに解決することもできません。
人はみんな、平等に1日24時間が与えられています。
最近、そのことを以前より強く意識するようになりました。
もちろん、目の前で悩んでいる人がいたら力になりたい。
話を聞きたい。
応援したい。
その気持ちは今も変わりません。
でも同時に思うのです。
私は限られた時間を何に使うのか。
誰のために使うのか。
それもまた責任なのではないかと。
例えば私には社員や事務局スタッフがいます。
一緒に働いてくれる講師やパートナーの方々がいます。
会社を継続し、成長させることは、その人たちの生活を守ることにもつながります。
また、私自身が健康でいること。
家族との関係を大切にすること。
それも私にとって大切な責任です。
もし目の前の一つひとつの問題や悩みにすべての時間とエネルギーを使い切ってしまったら、
本来進めるべき仕事が止まり、守るべき人たちを守れなくなってしまうかもしれません。
それは決して誰かを見捨てるということではありません。
むしろ、
限られた時間をどこに使うかによって、
結果として幸せにできる人の数が変わる。
私は最近そう考えるようになりました。
だからこそ、
誰かを応援することと、
誰かの人生を背負うことは違う。
優しさだけではなく、
自分の時間とエネルギーをどう使うかを選ぶこともまた、大人の責任なのだと思っています。
誰かを大切に思うこと。
誰かを応援すること。
それは素晴らしいことです。
でも、自分自身を犠牲にすることとは違う。
自分を守りながら人を応援する。
その方がきっと長く、
たくさんの人を応援できる。
最近の私は、そう考えるようになりました。
応援することと、背負うことは違う。
これは今の私にとって、とても大切な学びです。




「応援することと、背負うことは違う」という一文に、他者と関わる上での本質的なもどかしさと、それを乗り越えた先にある大人の責任のあり方を突きつけられた気がします。良かれと思って相手の荷物まで一緒に抱え込もうとすると、いつの間にか自分自身の軸が揺らぎ、大切な日常や周囲のバランスまで崩してしまうことがあります。誰かの人生を代わりに生きることはできないという冷徹な現実を実直に受け入れ、自分を守りながら長く並走することを選ぶ静かな決断に、深く腑に落ちる思いがいたしました。